彼方より

日記や書評など駄文を綴ります、悪しからず。夢野久作と杉山三代研究会の末席を汚す者。https://twitter.com/pallentium

あまざらし

切れかけた街灯に照らされて

明滅繰り返す人々の影

ゴムの匂いと空気の湿り気

静寂と呼ぶには甚だ多弁

 

上記の歌詞はamazarashiの』スピードと摩擦』という曲だ。amazarashiは好きだ。僕の出身地は東北。秋田ひろむと、同じだ。この曲を聞くたびに幼い頃父に乗せられた車の窓から流れていく高速道路の夜景を思い出す。車のフロントガラスに映る夜景は、次々と溶けていく。車が景色を溶かしながら高速で進んでいくかと錯覚するほどだ。車のスピードによる摩擦で、景色がどろりと溶けるのだ。後に残るのは、高速のオレンジの街灯が残しただらしない軌跡と、車に染み付いたタバコの匂い。

 東北の夏は暑い。緑は萌えて、いや、燃えているかのようだ。背中から吹き出る汗でシャツが体に張り付くように、濃厚な生が、夏にべったりと張り付いている。濃厚な生が夏に張り付いているならば、濃厚な死が夏に張り付いているのではないか。生は死を内包しているし、死は生を前提としなければ存在しない。

 

夏の庭に犬の骨、死屍累々の日付

 

サビの歌詞だが、この歌詞には東北の蒸し暑い夏の、濃厚な死が込められている。この短さで、だ。夏の終わり、セミがゴロゴロとアスファルトに転がっている景色を想像する。胴体のないカブトムシが、空を睨んでいる。食い散らかした烏を恨んでいるのだろうか。幅ったい茶色の羽は、そんな死体を彩る。羽もまた蛾の死骸だ。カレンダーは淡々と死屍累々の日付を刻み、そして、私の夏休みも終わっていく。amazarashiが好きなのは、僕のことを郷愁に誘うからかもしれない。それは安易で、人間を単純化することでもある。葛藤しながら今日もamazarashiを聞く。いずれ、夏が来る。長い夏休みが来る。夏は、行こうか戻ろうか、僕に進退を突き付ける。

「夏を待っていました。」

なんて言う勇気が僕にはあるだろうか。