方言。それに尽きる。僕らは時たま方言に惹かれる。それはどんな時かといえば、地元を離れた時ではないだろうか。身に覚えはないだろうか?きっと、少しはあるはずだ。人生は離れれば喜劇、近づけば悲劇、みたいなことをチャップリンが言っていたと思うが、その作用が僕らにも働いているだけなのだ。ある種の美化に過ぎない。僕は時々、すごく方言を使って話したくなる。だけどそれは最小単位のナショナリズムか、あるいはエスノセントリズムだ。村という自治体、さらにピントを絞って集落という単位の。
僕は目を開きたい。だから方言は使わない。